朝、いつものように電車に乗った。今日は天気がよかったので、車内に朝日が差し込み、私は軽く目を閉じた。朝の「まぶしい」という感覚は気持ちがいい。
電車はゆっくり走った。もちろん気のせいだろうが、今日の電車はなんだかいつもよりもゆっくり、のんびり走っているような気がした。車掌のアナウンスの声がゆったりしていたからだろうか。
そういえば、10日ほど前、用事があって新幹線に乗った。
新幹線の速度は、区間によっても異なるようだが、速いときは280キロくらい出ているらしい。普通の電車はその3分の1か、あるいは4分の1くらいだろうか。
今住んでいる場所に引っ越してくる前は、長いこと北海道に住んでいたので、新幹線に乗る機会はほとんどなかった。だが、飛行機にはしょっちゅう乗っていた。
旅客機は離陸して地上から離れてしまうと、どれくらいのスピードで移動しているのかよくわからなくなる。空や雲を眺めていても、速さを実感することはない。だが、実際には時速850キロくらいで飛んでいる。
プロ野球のピッチャーの投げる球が時速150キロくらいだから、それとくらべると、飛行機はとても速いように思える。
だが、当然ながら、鉄砲の弾丸は飛行機よりもはるかに速い。数年前、海外に出張した際に、現地で軍用ライフルの実弾射撃をしたことがある。その時に手にした銃で撃ち出した弾丸は、秒速900メートルのものだった。時速に換算すると3240キロということになるので、旅客機の4倍くらいの速さということになる。
私の勤務先の大学から最寄り駅までは約1キロなので、徒歩では15分ほどかかる。だがそのライフルの弾丸であれば、1秒で着いてしまうわけだ。
本州に引っ越してきて、よく新幹線を利用するようになった。車内の窓から外を眺めるたびに、新幹線の速度は旅客機の離着陸の時と同じくらいじゃないかな、と感じていた。
そこで、さっき調べてみたら、一般的なジェット旅客機の離着陸時の速度は、だいたい時速250~300キロくらいらしい。新幹線の速度は280キロくらいのようなので、やはり旅客機の離着陸時と同じくらいという勘はだいたい合っていたようだ。
新幹線のなかでは、ほとんどの乗客は、何かを食べたり、スマホをいじっていたり、寝たりしている。私は本を読んでいることが多いが、窓の外をじっと見ているのもけっこう好きである。
窓の外には、特に珍しい景色があるわけではない。しかし、普通ではありえない速度で景色が流れ去っていく様子が、なんだか単純に面白く感じるのである。いや、面白いというよりも、もう少し正確に言うと、ある種の不気味さのようなものを感じ、なんとも言えない異常さのようなものに惹かれるのである。
別に新幹線や飛行機のスピードが怖いわけではない。むしろ、その圧倒的な速さが好きである。だが、純粋に感心し面白がっているというよりは、なんだかタブーを犯しているような、若干の後ろめたさゆえの面白さのような、ちょっと独特なものを感じるのである。
なぜなのかは、自分でもよくわからない。
人類が初めて空に浮かんだのは、あるフランス人兄弟が作った熱気球によるものである。それは18世紀の後半のことで、蒸気機関車の鉄道よりも20年くらい前のことである。人類は、地上で時速100キロや200キロを出すよりもはるか前に、空を飛び始めたのである。空を飛ぶことよりも、地上で高速移動することの方が、経験が浅いというのは、なんだか意外である。
今回新幹線に乗っていたのは片道約2時間半だったので、その間に本を読もうと思い、ある一冊をカバンに入れて持っていった。行きと帰りでその本の約8割を読むことができた。だが、今回は、行きと帰りのそれぞれの2時間半が、不思議なほど短く感じた。
これまでは、2時間半というのはとても長い時間だと感じていた。いつもは、しばらく本を読んで、疲れるとそれをテーブルに置いてぼんやりと窓から外を眺める。ものすごい勢いて、景色が流れていく。圧倒的な速さに見とれる。見とれると言っても、きっとその時の私の顔はボウっとした無表情のはずだ。
そして、ときどき持ち込んだペットボトルのお茶を飲んだりするが、やがて景色を見るのにも飽きてくる。そして再び本を手にとって、続きを読み始める。
そんなことを何度も繰り返して、ふと腕時計を見ると、まだ1時間と5分くらいしかたっていない、というのがいつもの感じだった。だが今回は、その2時間半が不思議なほどあっという間に過ぎたように感じたのである。
読んでいた本が面白かったからだろうか。それとも、年のせいで時間の流れを早く感じるようになったからだろうか。どちらかであるか、どちらでもないか、あるいは両方であるかのどれかである。
今朝はそんなふうに、いつもの電車に乗りながら、新幹線に乗った約10日前のことをぼんやり思い出しているうちに、大学の最寄り駅に到着した。
改札を出ると、駅の建物のなかにあるスーパーの店先で、店員がパイナップルを並べていた。それを見て、新幹線の白くてつるんとした顔とパイナップルの造形は、色も形もなんだか対照的だな、と思った。
(終)