昨日も、今日も、けっこう暑い。5月とは思えないような気温の日が続いている。
いま住んでいるところへ引っ越してきて、もう9年目になる。それまでは北海道に住んでいたので、真夏でもせいぜい27度くらいであった。湿度も低いので、夏はとても過ごしやすくて快適だった。
19年間もそういう場所で暮らしていたので、体がすっかりそれに慣れてしまっていたのである。
そんな生活をしていたところ、いまの土地へ引っ越してきたものだから、こちらの夏の猛烈な蒸し暑さを体験したときは、大変なところへ引っ越してきてしまった、と思ったのであった。
ここには、800万人を超える人々が住んでいる。冬はさほど暖かいわけではなく、そこそこ普通に寒い。そして、夏は猛烈に蒸し暑い。冷房がなかったら体調を崩すだろう。こんな地域に、どうして800万人も住むようになったのか。今でも理解に苦しむ。
昨年、ゼミの学生にその話をしたら、地元出身の学生に、夏というのはそもそもこんなものであって、特に過ごしにくいとは感じていない、という主旨のことを言われた。
私は、いや同じ日本でももっともっと住みやすくて快適な地域があるのだ、北海道はいいぞ、と言ったのだが、彼らは冬が寒いところは嫌だと言う。
そこで私は、北海道の住宅はみな二重窓になっているし、空気もサラッしているので、身にしみるような寒さではないのだ、冬でも結構快適なのだ、と必死に説明したのだが、なかなかわかってくれない。
彼らは愛郷心を発揮して、自分たちが猛烈に蒸し暑くて住みにくい場所に住んでいることを意地でも認めようとしないので、なんだか面白かった。
今後、温暖化によって年々気温が上昇しており、今後の夏の気温は上昇することが予想されている。
私はしばしば大学の同僚たちに、「今のうちに、うちの大学を札幌に移転させましょう」と言っている。ところが皆、私の真摯で適切な意見を鼻で笑い、冗談としか受け取らず、誰一人としてリアルな提案として検討しようとしないのである。
私としては、老人になってもこの暑さに耐えられるか、甚だ自信がないのだ。同僚の皆は心配ではないのだろうか。
私たちは、気温が高ければ「暑い」と文句を言うが、気温が低くなれば「寒い」と文句を言う。よほど快適ではないかぎり、身の回りの環境についてあれこれ文句をつけて生きていくのだ。
温暖化対策は、確かに必要であろう。だが、私個人としては、もう与えられた環境のなかで、考えられることを考え、やるべき仕事をやり、そして、死んでいくしかないであろう。
ところで、私は子供の頃から、なぜか扇子という道具が好きだった。
小さい頃、初めて祖父母が持っていた扇子という道具を目にしたとき、そのギミックに目を奪われたのである。
使わないときはコンパクトな棒状になっているが、使用時は指先一つで大きく開く。その動きが、ものすごく素敵なものに見えたのである。
指先のわずかな動作でそれを開くと、形状が大きく変化して、色や絵や模様が現れる。ものによっては、香水のような匂いを発するものもある。風を起こすという単純な目的のために、ここまで凝った道具を用意するということが、なんだか「粋」であるように思えたのだった。
これは、なんて素敵なものなのだろう、誰が考えたのだろう、どうやって作るのだろう、と感動したのである。
そんなことから、今でも夏になると、つい扇子を買ってしまう。といっても高価なものではなく、1000~2000円くらいのものしか買ったことがないが、それでも満足して使っている。
今年も扇子を買おうかな、と思っている。
死ぬまでに、あと何回くらい猛暑を経験できるだろうか。
(終)