もう一人の自分と二人で時間を過ごすのは多分苦痛

むしろトンネルの方が明るい。

もし、私が今いるこの部屋に、私と全く同じ人間がもう一人あらわれて、私はそのもう一人の私と二人で24時間を過ごさねばならないとしたら、きっと私はその時間を苦痛に思うに違いない。

でも「なぜ?」と問われると、説明するのはわりと難しい。自分で自分を見ることは苦痛なのだろうか。私は自分と話をすることが苦痛なのだろうか。

自分でも自分と接することが嫌なのだとしたら、私はどうして毎日周囲の人々に「私」と関わらせて生きていられるのだろうか。










  • URLをコピーしました!
目次
閉じる