魚の死体を見てなぜか驚く

万年筆から漏れたインクで指先を真っ青にしたまま会議に出た。

湖のほとりに行ったら、大きな魚の死体が打ち寄せられていた。

一瞬ギョッとしたけれど(魚だけに)、よく考えたら、死んだ魚なんてスーパーにいくらでも並んでいる。なかには四角く切りそろえられたりしているものもある。

そうしたパックに入っている魚の方がはるかに不自然で異様なものであるはずなのに、そうしたものについては何も違和感を覚えず、むしろ湖のほとりで死んでいる自然な姿の方に驚いてしまう。

だが、そもそも「自然」と「不自然」の境界線はどこにあるのだろうか。

牙や爪などで獲物を捕らえるのは「自然」だと感じるけれど、デンキウナギみたいに電気で獲物を捕らえるなんてあまりに不思議で、なんだか「不自然」な気もしてしまう。

鳥がいろいろな材料を拾ってきてそれで巣を作ることが「自然」であるならば、人間が作るあらゆるものも「自然」と言わざるを得ないようにも思われる。

仮に人間が「不自然」なものを求めたとしても、人間が求めた以上、そのこと自体が「自然」の一部だとも言える。だがそんなふうに考えてしまうと、地球上で「不自然」は不可能であり、「不自然」は幻想だということにもなりかねない。

湖のほとりで魚の死体を見ていたら、「不自然」の意味がわからなくなってしまった。










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