過去から学ぶという優しさや温かさの実践には冷酷さが必要

自宅からの眺め、ではない。

過去の出来事から何かを学んで、それでもって現在や未来をより良くしていこう、と考えるのは、その人が優しくて温かいからである。けれども同時に、かなりの冷たさというか、ある種の冷酷さのようなものもないと、歴史をきちんと理解・分析してその優しさや温かさを活かすことはできない。

人は誰しも矛盾した人格をもっていて、そこが愚かさであったり見苦しさであったりするけれども、ある場合においては、矛盾していることがむしろ大事なのかもしれない。









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