未来が今に影響を与えている、という感覚がある

今日はお昼に、ご飯のうえに豚肉がのったものを食べた。

過去や現在が未来の原因になっているのではなく、実は、むしろ未来が現在や過去に影響を与えている、というような感覚をおぼえることがある。

そんなのはおかしいとはわかっていながらも、ときどき当たり前のように、そう感じてしまう。

昔あのようなことがあったのは、今こうしていることに原因があったからなのかもしれない、という奇妙な理屈は、ある種の記憶に対しては、ささやかな慰めになるからだろうか。

この「今」は未来の影響を受けている、という感覚には、不思議な安らぎがあるようにも思われる。







  • URLをコピーしました!
目次
閉じる