何かに「後悔」してしまうことが異様に怖かった

14年前の今ごろ、札幌でこんな写真を撮っていたようだ。

子供の頃、自分が何かについて「後悔」してしまうということが、異様に怖かった。過ぎたことはもうどうにもならない、時間はもう戻らない、という単純な現実が、おそろしかった。そういう法則の中で生きるしかないことが、心細かったのである。

過去をどう捉えるか、というのは現在の思考の問題であり、現在の思考は未来につながる問題だ。「後悔」するかしないか、あるいは、「後悔」したことをどう受け入れるかは、結局人生そのものに関する問題であるような気もする。

イエスやブッダも、一度くらいは何かを「後悔」したことがあるのだろうか。後悔ばかりしていたら、救いや悟りは難しそうだ。しかし、後悔を全く知らなかったら、「愛」や「幸福」や「感謝」も知り得ないような気もするのである。







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