今日も、朝から大学で原稿を書いて過ごした。
本日の進捗具合は100点満点中で90点という感じだろうか。悪くはないけれども、もっと頑張ることができたのではないか、というところである。7時15分くらいに研究室を出て、家路についた。
電車に乗って最寄り駅に着き、そこから歩いて3分くらいのところにあるスーパーに寄った。夕食の材料を買うためである。すると、店の入り口で、ちょうどインド人の家族と一緒になった。夫と妻と小学生くらいの女の子の3人である。
ちょうどそのスーパーの2軒隣がインド料理店なので、おそらくそこの従業員家族なのではないかと思う。これまで何度か見かけたことがあった。
店の入口にはカゴが積み重なっていて、カートも並んでいる。その女の子がカートを引っ張り出してはしゃいでいる。がっしりとした四角い顔の父親は、女の子と一緒にカートを押して店内に入っていった。サリーを着た母親の方は、一人でどんどん先に店の奥の方に歩いていった。
私が住んでいるところでは外国人は少しも珍しくないが、インド人らしい人を見かけると、私はどうしても、しばらく前に学生の引率でインドに行った時のことを思い出す。それは、これまでの仕事のなかで、最も印象深い仕事だったからである。
私はそれまで、特にインドという国に興味をもったことはなかった。だが、今の大学に赴任して半年ほどしてから、ある日突然学部長から内線電話がかかってきて「石川先生、急な話で申し訳ないのですが、3週間ほどインドに行ってきてくれませんか?」と頼まれたのである。
私としては、そういう仕事があるとは思ってもいなかったので驚いたが、どうやら予定していた教員が行くことができなくなってしまったため、担当部局が困ってしまっていたようなのである。私は少しだけ考えさせてもらってから、OKの返事をした。
20名の学生を連れて3週間もインドに滞在する、というのはなかなかの体験であった。日本語が流暢な現地ガイドが同行してくれたので心強かったが、個人的な遊びの海外旅行ではなくて、学生の安全を守ることに責任がある立場だったので、わりと緊張を強いられる21日間だった。
その時の思い出は、ここには書ききれないほどたくさんある。
私は、毎日欠かさず日記を書いているのだが、その引率旅行の際は、普段の日記帳に加えて、さらにもう1冊ノートを持っていき、とにかくその日に見たこと、聞いたこと、考えたこと、感じたことを書きまくった。
慣れない外国では、夜はくたくたに疲れてしまうのだが、その3週間のことは意地でもきちんと記録しておかないと後悔するだろう、と思ったのだ。
当時の日記やノートは、今読み返してもとても面白い。日程の3分の1を終えた頃、次のようなことがあった。
私たちは首都のデリーで1週間を過ごした後、残りの2週間は主にコルカタを拠点にして過ごした。デリーからコルカタへの移動には寝台列車を使ったのだが、インドの鉄道は日本とは違って、まず時間通りには列車は来ない。
私たちは大きな駅のホームをまたぐ歩道橋のようなところで、乗る予定の列車が来るまで約6時間も待ったのであった。
列車を待っているあいだ、しばらくは学生たちとおしゃべりをしていた。だが、やがてさしあたりの話題も尽き、学生たちは疲れてしゃがみこんでしまった。私は暇なので、本でも読もうかと思い、リュックから小さな文庫本を取り出した。そして、その駅の歩道橋の壁によりかかったまま、読み始めたのである。
しばらく私は黙々と読んでいたのだが、ふと、5~6メートル離れたところで2人のインド人の若い男が、じっと私のことを見ているのに気付いた。肌は浅黒く、髪は墨のように黒くて、目付きは鋭い。私は一瞬ドキリとしたが、すぐ横には学生たちが並んでしゃがんでいるので、気にしないことにした。
だがそれからすぐ、その2人のインド人青年はゆっくり歩いてこちらに近づいてきたのだ。私は立って壁に寄りかかったまま本を読み続けていたのだが、1人は私の真横に来て、肩がほとんど触れ合うほど近くに来たのである。
見ず知らずの人が突然無言で近づいてくると日本人同士でもびっくりするものだが、ここは外国で、私は彼らの言葉もわからない。荷物を盗るつもりなのか、と一瞬緊張したのだが、すぐに彼らの目的は違うとわかった。
というのは、彼らは熱心に、私が読んでいる文庫本を覗き込んできたからである。私に対しては、一言も、何もしゃべらない。ただ、急に私のすぐ横に来て、黙ったまま立って、ものすごく珍しい昆虫でも見つけたかのような目で、私がそこで立ち読みしている岩波文庫を覗き込み始めたのである。
私は緊張がとけて、彼らに微笑してみせた。だが彼らは愛想笑いさえせず、ただひたすら私の手にしている日本語の本を覗き込み続けたのである。
もちろん彼らは日本語が読めるわけではないだろう。絵も写真もない文字だけの本だから、きっとすぐに飽きて向こうに行ってしまうだろう、と私は思った。だが、彼らはいつまでたっても、覗き込むのをやめない。それから10分以上も、ずっと私と肩が触れ合うほど近くに立ったまま、私が読んでいるその文庫本を覗き込み続けたのであった。
そして、しばらくすると、私のそばにやって来た時と同じように、何も言わず、愛想笑いもせず、帰っていったのである。
スマートフォンやパソコンで動画などを見ている時にそれを覗き込まれるのであれば、わからなくもない。だが、絵も写真も入っていない日本語の文字だけの小さな文庫本を、10分以上もずっと覗き込み続けていた彼らの素朴な好奇心に私は驚いたのだった。
もし少しでも日本語がわかったなら、私に何か一言くらいは喋ったはずだろう。全く読めないであろう漢字や平仮名を眺めながら、彼らはいったい何を思ったり、何を考えたりしていたのだろうか。
今日、スーパーで見かけたインド人家族は、もちろん私がインドで出会ったその青年たちとは全くなんの関係ない。同じ人種の人たちだから、私はつい、あの日私の本を覗き込んできたあの2人の青年のことをふと連想したというだけである。
今頃、あの青年たちはどうしているだろうか。彼らは、私のことを覚えているだろうか。私は彼らの名前は知らないし、もう顔も覚えていない。でも、とにかく幸せでいてくれたらいいな、とぼんやりと思いながら、私はそのスーパーで買い物をして、家に帰った。
(終)