何かを食べて美味しいと感じる理由について

夕食の後、アイスクリームを食べた。手のひらの半分ほどのサイズの、小さなカップのアイスで、抹茶味である。

抹茶味のアイスはお店にいろいろあったが、これにはパッケージに「濃厚」という文字が書かれてあって、抹茶の風味が特に濃いようにデザインされた商品のようであった。

一口食べると、顔全体に抹茶の風味を感じるくらい、確かに濃厚だった。とても美味しかった。もう2、3個食べたかったが、我慢した。

昔から、アイスクリームという食べ物には、なぜか少し特別な食べ物というイメージがある。なぜかな、と考えてみたが、よく考えると、理由はどうもはっきりしない。

ひょっとしたら、それが冷凍食品だからだろうか。アイスクリームは、保存する時は冷凍庫に入れておかないと溶けてしまう。食べる時は冷凍庫から出して、すぐに食べないといけない。その時間に追われる感覚というか、アイスの側に合わせて、気を遣って行動をしなくてはいけないような感じがあって、それがそれをスペシャルなものに思わせる理由なのだろうか。

初めてこの白い建物に入ったのは、ずいぶん昔の3月末。

だが、似たものは他にもある。

氷も冷凍庫に入れておかねばならないが、氷については別に特別なものというイメージはない。氷はただの氷である。

保管に気を配らねばならないという点では、肉や野菜や果物も同じである。むしろ肉や野菜や果物の方が、アイスクリームよりもはるかに賞味期限が短くて、保存や取り扱いにはもっと注意を要する。

アイスクリームは値段が他のものとくらべて高いのかといえば、そういうわけでもない。今はむしろ果物の方が高いくらいである。値段は別に問題ではない。

私はいったいなぜ、アイスクリームに対してちょっぴり特別なものというイメージを持つようになったのだろう。

この食べ物は、少年時代の平和な日々の記憶と結びついているようにも思われる。ここでいう平和というのは、小学校低学年くらいでまだ思春期前の、今思えばのどかな生活をしていた頃のことである。

そのころも学校ではそれなりにいろいろ悩んだりしたことがあったのかもしれないが、しかし、将来の不安とか、経済的な不安とか、異性関係の不安とか、実存的な不安というものは知らなかった。アイスクリームは、なぜかそうした少年的な「無垢」のイメージと結びついているがゆえに、今でも何となく、安らぎを想起させるのかもしれない。

そうした記憶やイメージの傾向は、誰にでもあるものなのだろうか。

食べ物は、どんなものでも、必ず何らかの具体的な場面で口にされる。だから人によって、それぞれの食べ物について、それぞれ何らかの記憶や感情と結びついているということはあるかもしれない。

自分が乗った車両には誰も乗っていなかったので、自分も静かに黙って過ごした。

甘いチョコレートを食べた時と、辛い漬物を食べた時とでは、明らかに気分が違う。ピザを食べた時と、ソバを食べた時とでも、やはり明らかに気分が違う。どちらが良いとか悪いとかではなく、ただ事実として、食べ物によって食べた後の感情や精神状態のタイプが異なると私は思うのである。

人によって、好きな食べ物、嫌いな食べ物というのがある。ひょっとしたら、私たちがこだわっているのは、食べ物の味そのものではないのかもしれない。そうではなくて、まず先に、自分自身の気分や精神状態について好みというものがあって、自分が好みの気分や精神状態を得るためには、経験的にこの食べ物を口にすると有利だ、というような思考を無意識のうちにやっているのかもしれない、と今ふと思った。

年齢とともに、食事の好みが変わったりする。

もちろんその背景には、年をとって胃腸が弱くなるとか、脂っこいものが苦手になる、というのはあるかもしれない。しかし、その一方で、自分にとって好ましい気分、好ましい精神状態が変わってきたがために、その結果として食べ物の好みが変わってきたということもあるのかもしれない。

ちなみに、私は、最近クロワッサンが好きになってきた。

若い頃は、特にクロワッサンを好むというわけではなかった。好きでも嫌いでもなく、特に意識するような食べ物ではなかった。だが最近になって、なぜか、軽くトースターで温めたクロワッサンを、何も付けずに食べるのがとても好きになったのである。

クロワッサンそれ自体というよりも、それを食べることで得られる、静かな気分というか、落ち着いた精神状態を得たいがために、それを「美味しい」と感じるようになったのかもしれない。

(終)

  • URLをコピーしました!
目次
閉じる