またぎっくり腰になったけれど治ってきた

昨日あたりから、ようやく腰痛が落ち着いてきた。少し前に、いわゆるぎっくり腰になり、けっこう大変だったのである。

ぎっくり腰になったその瞬間は、特に重いものを持ち上げようとしたとか、不自然な姿勢をとったわけではなかった。自宅から電車で2駅ほどのところにあるショッピングセンターに行き、ある店で棚の下の方にある商品を取ろうとして、ごく普通にかがんだ瞬間に、「これはやばい」という痛みに襲われたのである。

ぎっくり腰は今回で2度目だ。3年ぶりの2度目、である。前回は、ちょうど大学で教務委員をやっている時期だった。

教務委員は、教授会のたびに何かしら報告など発言をせねばならない。当時はコロナ禍以前で対面の教授会が当たり前だったが、動くことができないとそもそも教授会に出席できない。仕方なく、学部長に事情を伝えて欠席させてもらったのであった。

その時に思ったのは、「ぎっくり腰」という名称の何とも言えない滑稽さであった。わりと深刻な症状なのだが、その名前からはいまいち深刻さが伝わらない気がしてしょうがなかった。

これになると、立っていると腰が痛いし、座っていても腰が痛い。横になっていても腰が痛いし、顔を洗うのも靴下を履くのも一苦労となる。けっこう深刻なものだ。そのわりには、「ぎっくり腰」というネーミングにはなんとなくコミカルな印象があるような気がしてしまったのである。

少し前、とてもよく晴れた日に、初めての駅で降りて、知らない商店街を歩いた。

正式には「急性腰痛症」という名前らしいが、いったい「ぎっくり」とはどういう意味なのだろうか。どうやら歌舞伎の世界で「ぎっくり」という言葉が使われるようだが、普通の人は、ぎっくり腰以外に「ぎっくり」という単語はまず使わないであろう。

前回も思ったし、今回も思ったのは、ぎっくり腰になっている最中に大地震が起きたり戦争になったりしたら、まず間違いなく逃げ遅れるだろう、ということである。荷物を持って逃げるどころか、自宅のトイレに行くのさえ一苦労だし、靴の紐を結ぶのも一人では無理だからである。

前回は3日程度で治ったが、今回はとりあえず痛みを感じずに日常生活が送れるようになるまで3週間近くかかってしまった。もう老人になったと自覚したほうがいいかもしれない。

座っていても立っていても寝ていても痛くてうんざりしていた時、そういえば学生時代に腰痛持ちの先生がいたな、と思い出した。彼はフランス哲学が専門の教授で、わりと大柄な人だった。

その先生は、いつも授業開始時間から10分くらい遅れて教室に入ってくるのだが、教卓にカバンを勢いよく置く人だった。バタンと音をたてるのだ。私は初めてその様子を見たとき、彼が何かに怒っているのかと思ったが、別にそうではなく、単にそういうカバンの起き方をするのが癖のようだった。そして彼は、いつも「あぁ、腰がいてぇなぁ」とひとりごとを言うのだった。

なんとも印象的な先生だったので、今でもよく覚えている。

しばらくのあいだは、そのカバンの置き方や、「腰がいてぇなぁ」と言って授業を始めるその様子から、とてもがさつな人だという印象を持っていた。だが、後になってから、彼はわりと親切で、神経が細やかな人だとわかった。

当時、私は21歳くらいだったと思う。それから長い時間をへて、今では自分が腰痛に悩まされるようになっている。ありきたりな言い方だけれど、時間がたつのは早いものである。年寄りを見て内心で笑っていたら、もう自分がそういう年になっているのだ。

私は、肩こりというものは一切経験がない。きっと生まれ持った骨格というか、体質の問題なのだろう。腰痛は、その代わりのようなものとして、甘受せねばならないのだろうか。

私の腰痛とぎっくり腰の原因は、おそらく座りすぎにあると思う。私は一日何時間でも机の前に座り続けることができてしまう。授業や会議がなければ、毎日トイレ以外はずっと研究室で机の前に座ったまま、本を読んだり、原稿を書いたり、パソコンで調べ物をしたりしている。

この「座りっぱなし」が腰によくない、ということはよく知ってはいるのだが、座っていること自体は苦痛ではないし、なまじそこそこ集中力が続いてしまうのである。

これからは、意識的にときどき立ち上がって、ストレッチをした方がいいだろう。

今回のぎっくり腰は、まったく動けない日はちょうど授業も会議もないタイミングだったので、不幸中の幸いというか、同僚や学生には迷惑をかけずにすんだ。

駅のホームの一番端は、一人でぼんやりできて居心地が良い。

なんとか歩けるようになってから出勤したら、朝の通勤時の景色がいつもと違って見えたような気もした。

電車に乗って、駅で降り、大勢の学生たちにまぎれて大学に向かう。私の横や前を歩く若い学生たちは、やはり腰痛などとは無縁のようである。数人でおしゃべりをしながらノロノロと歩いている者もいれば、一人でスタスタと歩いている者もいる。スポーツの道具でも入っているような大きなバッグを背負ってのっしりと歩いている大柄な者もいる。

よく見ていると、人の歩き方というのはけっこう人それぞれだ。同じように歩いているようで、足の動かし方や首のあたりの角度など、つまり姿勢がずいぶん違う。

そんな様子をながめながら、私は腰に負担がかからないように気をつけて、普段よりゆっくり歩いて大学に向かった。いつものリュックを背負うのはちょっと怖かったので、ここ数日は荷物をすべてタイヤのついたキャリーケースに入れて、それを引っ張っているのである。

大学に着いて研究室塔に入ると、エレベータで同僚の先生と一緒になった。私がキャリーケースを持っていたからか、「あら、石川先生、出張ですか?」と言われたので、私はぎっくり腰になったことを説明したのだった。

すると、その先生は「あらー」と口を開けて驚き、「それは大変ですねぇ」と言った。

私は「いやいや、大丈夫です。もう歩けますから」と言って「それにしても、ぎっくり腰っていう名前って、なんか格好悪いですよね」などと、われながらどうでもいいことを付け加えて、自分で笑った。

私は6階まで行くのだが、彼は5階で降りた。彼はエレベータを降りるときに「では、どうぞお大事に」と言って軽く手をあげた。

私は「ああ、どうも、どうも」と妙な返答をしていたら、エレベータのドアは勝手にしまってしまった。

「お大事に」と言われた場合の返答はなんと言えばいいのか一瞬わからず「どうも、どうも」などと言ってしまったのだ。エレベータの扉が閉まって、箱のなかに一人になってから「ああ、普通にただ、ありがとうございます、と言えばよかったんだ」と気付いたのだった。

(終)

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