エスカレータという乗り物はわりと面白い

私は車を持っていない。自転車も、持っていない。

私の所有物のなかで、タイヤがついているのは、スーツケースだけである。

車も、自転車も、買おうと思えば買うことはできる。お金がないわけではない。買ってしまえば「これは必需品だ」と思うこともできるだろう。でも、今は、特に欲しいとは思わないので、買っていないのである。

通勤には電車を使っていて、それ以外はいつもてくてくと歩いている。どこか遠くに出かけた際には、バスやタクシーにも乗る。

ずいぶん長いこと、乗り物を所有せずに暮らしている。電車もバスもタクシーも私のものではないし、出張でときどき乗る飛行機も、私のものではない。私が乗るものは全て、誰か他人の持ち物なのだ。

今朝、大学に向かって一人で歩きながら、このようなことをぼんやりと考えていたら、電車以外にも毎日乗っているものがあることに気付いた。それは何かというと、駅のエスカレータと、大学内のエレベータである。

地面の模様が規則正しいと、少し気分が楽になる。

子供の頃は、しばしばエスカレータとエレベータを混同したものだ。両方とも「エ」から始まっていて「レ」と長音符号(ー)があって「タ」で終わっており、つまり響きが似ているからだ。まあ、それはどうでもいい話だ。とにかく私は、ほぼ毎日それらに乗っている。

どちらも建物に据え付けられているので、「乗り物」と言えるかどうかは微妙かもしれない。だが、では「乗り物」の定義はどのようなものなのだろうか。

「人間が移動するために乗る機械」を「乗り物」だと定義するならば、エレベータもエスカレータもどちらも「乗り物」になる。だが「機械」であることにこだわると、馬やロバは乗り物ではなくなってしまう。

また、その乗り物自体が空間を移動するのでなければ「乗り物」の名に値しないというのであれば、エレベータは箱状のものが上下に移動するので、何とか「乗り物」だと言えるかもしれない。だが、エスカレータは帯状の階段がその場でぐるぐる回転しているだけで、エスカレータそれ自体は移動していないとみなすならば、「乗り物」とは言えないかもしれない。

もしエスカレータが「乗り物」ではないとすると、では、それは人間の作った物のなかで何というカテゴリーに分類されるのだろうか。階段や橋だったら「構造物」と言えるが、エレベータは「構造物」と言うには作りが複雑過ぎる気がする。「建具」とも言えないだろうし、もちろん「玩具」でも「装飾」でもない。

「エレベータに乗る」という言い方をする以上、やっぱり「乗り物」でいいのだろうか。だが、やはり既存のカテゴリーにはフィットしなさそうに見える。

ところで、エスカレータにもいろいろある。

私は1980年代末にロンドンで地下鉄に乗ったことがあるのだが、当時はそのエスカレータのステップが木製だった。日本のエスカレータのステップは、みな金属か樹脂のようなものでできていて、私はそれが当たり前だと思っていたので、木製ステップのエレベータを見たときはとても驚いた。

そのロンドンの木製エレベータも、さすがに手すりは黒いゴムか何かで出来ていたが、手すりとステップの速度が微妙にズレているので、手すりにつかまって乗っていると、手の方が少しずつ前に行ったり、逆に手の方が少しずつ後ろに行ってしまったりするものだった。しかも、常にギシギシと音がするので、なんとも言えない雰囲気があった。

1990年代半ばに札幌に引っ越した時は、人が乗っていない時は停止していて人が近づくとセンサーが反応して動き始めるエスカレータを初めて目にした。生まれ育った東京ではそのようなエスカレータは見たことがなかったので、珍しいなと思った。

それは近づくと人感センサーが反応してスイッチが入るのだが、動き出す瞬間に、「ドゥギュゥゥゥゥン」という実に重々しい機械音を発する。それを初めて聞いたときは、SF映画に出てくる巨大悪役ロボットが発する音のような感じがして、けっこうビクッとしたものだった。

授業が終わった後、学生から「髪を切りましたね」と言われた。

小さい頃、母親や祖母に連れられてデパートに行くことがあったが、その時にエスカレータのステップに足を載せるタイミングが難しくて怖く感じたことを、今でもよく覚えている。

私は何歳ぐらいから、エスカレータに乗ることを当たり前のようにこなせるようになったのだろうか。うまくできなかったことは覚えているが、うまくできるようになったときのことは、あまり覚えていないものである。

ところで、よく考えてみると、「階段」を自動で動くようにしたこの「エレベータ」というものは、すごくユニークな発想のものではないだろうか。

階段というのは何千年も前からあった。エスカレータが発明されるにいたった詳しいプロセスは知らないが、階段をそのまま動くものにしようという思いつきには、なんだか無垢な愛らしささえ感じる。

「動く階段」というこの機械のコンセプトは、良い意味で単純というか、素直というか、まっすぐなものであって、意外と普通の人には思いつかないような気がするのである。

仮に電気が止まってしまっても、エスカレータは階段としては十分に機能する。そうした基本的な性質も、なんだか自然体で安心できる。

そう、これは、実はなかなか面白いデザインの素敵な乗り物なのだ。その素晴らしさに気付かず、いつもボケっとした顔でエレベータに乗っている自分はなんなのだろう。なんだか滑稽で、笑ってしまいそうにさえなる。

こんな道具が当たり前のように街中にあって、私はしょっちゅうそれに乗ってきたし、今後も乗る。好きなときにこれに乗れるというのは、たぶん、けっこう幸せなことなのだ。

(終)

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