書いてみてはじめて、自分の考えに気付く

昔、飛行中のコックピットに入れてもらったことがある。

私は自分が何を考えているのかを、文章にしようとして書き始めることによって初めて知る、ということが少なくない。書き始めてようやく、ああ自分はこんなことを考えていたのか、こんなふうに思っていたのか、と気付くのだ。

頭のなかだけで「考える」のでは、あまり「考える」ことになっておらず、ペンを手にして紙に文字を書き始めて、そこでようやく「考え」たり「感じ」たりすることができるようになっている気さえする。だから、いまだに日記は紙に手書きである。本を書く時も、原稿はもちろんパソコンで書くけれど、同時に紙のノートが何冊も必要になる。

例えば、外国ではじめて軍用ライフルを撃ったとき、銃床から肩に受ける反動は、銃の先を太いゴムではじかれたような感触だなと思った。けれども、それは撃った瞬間にそう考えたのではない。その日の夕方になってから、日記を書いていて、ふと「太いゴムではじかれたような感触」と記したのだが、そう書いてみて初めて、「ああ、自分はそのように感じたのか」と気付いた、という具合である。

昨日、私の名字と同じ名前の県で、直径11センチほどの小皿を買った。その小皿には、とても繊細な赤い線で、装飾的にタツノオトシゴが描かれている。一目で気に入ったのである。

いま、机の上のマグカップの隣に置いてある。








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