ときどき、幼少期の自分と現在の自分は一瞬の時間の途切れ目もなく完全に連続している、ということが信じられなくなることがある。
「自分」や「時間」を信じられなくなっているのか、それとも信じたくないと思っているのか、自分でもよくわからない。
幼少期の自分のことは、わずかだけれどちゃんと記憶にある。高校時代の自分のことも、ちゃんと記憶にある。
けれども、それらの記憶は、それぞれの時代にそういう人がいたということを知っているだけという感じで、なんだか誰か他人の人生についての知識に過ぎないような気がしてしまったりするのだ。
私の頭は、ときどきそんなふうになる。