貨幣とは、究極的には「社会」そのものである。だから、自分で自分のお金の遣い方を考えるというのは、社会との関わり方を考えるということでもある。また、人は社会のなかでしか生きられないから、自分で自分のお金の遣い方を考えるということは、結局、自分の生き方について考えるということでもある。
そう考えると、「人生とは何か」とか「どう生きるか」という問いは、一見したところ崇高でカッコいいかもしれないが、抽象的過ぎて、問いの立て方としてあまり上手いとは言えないようにも思えてくる。「今持っているお金や今後得られるであろうお金をどう遣うか」という問いの方が、実は「人生」について考えるうえでは具体的で建設的なのではなかろうか。
こんなようなことを、昨日の夜、寝る前に、ベッドのなかでぼんやり考えていて、いつの間にか寝た。