それでもなお後悔の気持ちはおさまらず

意外と綺麗な赤だな、などと思った。

今日、ある事柄や状況について人に理解を求めるメールを書いた。送信してしまった後になって、あのような書き方ではなくて、もっと別の書き方にすればよかった、と後悔してしまった。

一般にこうした「後悔」の真相は、相手の気持ちを本当に気遣ってのものというよりも、自分が悪く思われたくない、という、単純な自己愛に他ならないことが多い。

だが、それがわかっていても、後悔の気持ちはおさまらない。「後悔」とは、そもそも自分のためのものを言うのかもしれない。他者のために真剣に後悔できることが、愛とか優しさとか平和とかなのだろうか。







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