これまでいくつの靴を買ってきたのだろうか

懐かしいという気持ちと、申し訳ないという気持ちは、くっついていて離れない。

これまでの人生で、私はいったいいくつの靴を買ってきたのだろうか。今日の夕方、なぜか急に、そんなことを考えた。

別に、靴に興味があるわけではない。むしろ、ほとんど興味がなく、普通に履き心地がよければ何でもいい、というくらいにしか思っていない。

だが、今日大学から帰るとき、ふと、今まで自分は何足の靴を買って現在にいたっているのだろうか、今履いているこの靴は自分の人生で何足目の靴だろうか、などという疑問が頭に浮かんだのだった。

もういい年齢だから、これまで70足くらいは買っただろうか。いや100足くらいになっているのだろうか。若い時はいちおうスポーツもやっていたから、もっともっと買ってきたかもしれない。

もしちゃんと数えていたら、これが人生で50足目の靴、とか、60足目の靴、というのがあったはずである。だが、もうそれはわからない。

赤ん坊のとき、生まれてはじめて履いたのはどんな靴だっただろうか。給料をもらうようになって初めて自分で買った靴は、どんな靴だっただろうか。もう、覚えていない。

私がこの生涯で、最後に履く靴は、どんな靴だろうか。それは、自分で選べそうでいて、選べなさそうでもある。







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