昨夜はビールと餃子を食べた。とても美味しかった。
あまりに美味しかったので、「ビールと餃子はなぜこんなに美味しいのだろうか」と何度も何度も疑問に思いながら、食べた。
考えたところで答えがでるわけではないとわかっているのに、それにもかかわらず「なぜこんなに美味しいのだろうか」という問いを繰り返すのは、思えば奇妙な思考である。
これは、例えば、子犬や子猫をみて「なぜこんなにかわいいのか」と言うのと同じで、実際には別に「答え」を求めているわけではない。ただ単に、感嘆の意を表現する手段として疑問文の形式を用いているだけである。
だとすると、「なぜ生きているのか」とか、「なぜ死ぬのか」という哲学的・宗教的問いも、人によっては、実は答えを見出そうとしているわけではない可能性もある。ただ単に「生きていること」「いつかは死ぬこと」の不思議さとその驚きを、とにかく表現したいだけなのかもしれない。
ビールと餃子を食べながら、昨夜はそんなことを考えた。