自分にとっての古典をリストにしはじめた

通勤時、後ろを振り返ると、誰もいなくて、明るくて、とても静か。

最近、日記帳に自分にとっての古典をリストアップしはじめた。ここで言う古典とは、繰り返し読む価値のある本というくらいの意味である。

いまの年齢になって、やはりこれは真理だなと気付いたのは、「太陽の下、新しいものは何ひとつない」(旧約聖書「コヘレトの言葉」)ということである。もちろん、時代が進むにつれて、新しい物や技術が誕生し、それによって社会が大きく変わることはある。常識とか、価値観といったものも、昔の社会と今とでは大きく異る。しかし、人間の根本的なありようというのは、やはり大昔も今も、ずっと同じなのだ。

だから、新しい本にばかり飛びつくことはやめて、残りの人生では、繰り返し読むに値する本を再読し、それをしっかりと自分の血肉にすることを心がけよう、そちらの方が大事だ、と思うようになったのだ。

新しい物事に関する情報は、確かに軽視してはいけない。だがそれは、普通に社会人をしていて自然と耳に入ってくるくらいの量で、十分であろう。

それよりも、本当に鋭く人間というものを見つめていると思われる古典の方を大切にし、それらを繰り返し読んで、より根本的で抽象的な思索をすることの方を、優先すべきなのだ。

ただし、ここで重要なのは、その古典というのは万人にとっての古典ではないということである。あくまでも「自分にとっての古典」でなければ意味がない。自分にとって価値あるものは何か、自分が大切にすべきものは何かを考えることが、すでに、読書と思索と人生の一部だからである。

今のところ、その古典のリストは11冊になっている。







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