先日、ゼミの最後の授業があった。すでに卒論の口頭発表は終えていたので、最後の授業では学生たちに製本に回す卒論原稿のゲラの最終チェックなどをしてもらった。
もう、彼らと次に会うのは、卒業式の日になってしまう。
その日の授業の後半はほぼ雑談になったのだが、ゼミ生のうちの一人から「僕、1年生の時、先生に初めて話しかけた時のことを今でも覚えています」と言われた。
彼は1年生のときから私の授業に出ていて、ある日、授業のあとに私のところへ質問に来たのだった。私たちは一緒に教室を出て、歩きながら話をした。そして、図書館の入り口の前にあるベンチに座ってさらに5~6分ほど話をして、それから別れた。約4年前のことだが、私もよく覚えている。「ついこのあいだのことのような気がするね」と言って、お互いに笑った。
別の学生たちとも、いろいろな話をした。勉強や研究の話だけでなく、彼らの家庭の問題について報告されたりして、研究室でコーヒーを飲みながら、黙ってそれを聞いたり、言える範囲内でのアドバイスをしたりしたことがあった。
もっとゆっくり彼らの話を聞いてあげたかったが、すぐあとに会議の予定が入っていたり、原稿の締切がせまっていたりして、十分には相手をしてあげられなかったかもしれない。今になって、少し申し訳なく思ったりする。
大学で学生たちと接していると、本当に、世の中にはいろいろな若者がいて、いろいろな父親がいて、いろいろな母親がいるのだな、と思う。そして、人は他人の人生を知り尽くせないけれども、意外と自分でも自分の人生を理解し尽くせないものなのかもしれない、とも思えてくる。
どうか、彼らのこれからの人生が、それぞれの彩りにおいて、幸せなものでありますように。