他者との違いは、たぶん思っているよりも些細

先日、用事があってデパートに行った。

デパートというのは、1階のフロアは必ず香水など女性の化粧品売り場になっているものだと思っていた。だが、先日行ったデパートでは、1階はブランド物のバッグのフロアになっていた。

それら有名ブランドのバッグは、素材や作りが良いのかよく知らないが、とにかくどれも驚くほど高価であった。

あるフランスのブランドのバッグが並んでいるところへ近づいてみたら、財布とスマホくらいしか入らないようなとても小さなバッグに20万円や30万円という値段がついていた。私にはそれを見て、なんだかとても面白く感じ、思わず笑顔になってしまった。

きっとこれらは、物を入れるための道具として買うものではないのであろう。そのブランドのバッグそのものが一つのアクセサリーであり、ファッションのアクセントとして身につけるものなのであろう、などと勝手に想像しながら眺めていた。

あまり長いあいだ商品をジロジロ見ていると店員が寄ってきてしまうので、すぐに売り場から離れたが、私にとっては珍しいものだったので、本当はもっとじっくり観察したかった。

17歳の時に初めて一人で入った喫茶店の看板は、赤色ではなく緑色だったことを覚えている。

私は、そうしたいわゆるブランド物は一つも持っていない。だが、こうしたものを所有し持ち歩くことによる「満足」というものがありうることは非常によくわかる。

この世のあらゆる商品には、その物自体とは別に「イメージ」や「ストーリー」というものがある。人は多かれ少なかれ、「物」に対してそれ自体の性能や有用性とは別に、何かしらの背景を付与する傾向があるものだからである。

美男美女のモデルがブランドバッグを持ってポーズを決めている広告写真を見て、自分も同じものを欲しいと思うのは、人間という「社会的な動物」としてはとても自然な反応だと思う。

先日、私がデパートでそのブランドバッグのフロアを歩いていたとき、30歳くらいの女性が店頭でちょうどそうしたバッグの一つを購入し、現金で支払いをしている最中であった。私はその様子を、つい横目で眺めてしまった。

白い手袋をした店員が、せいぜい文庫本が3冊くらいしか入らなそうなその小さくも高価なバッグを、まず布の袋に包み、それを箱に入れ、さらにそれを紙袋に入れていた。その脇で、別の店員が、シルバーのトレイに置かれた20枚以上はあるであろう一万円札の束を受け取り、数えていたのであった。

それを支払った客は、痩せていて、髪は黒くて長く、薄いブルーのサングラスをかけていた。彼女はカウンター前の椅子に斜めに腰掛けて、足を組んでいた。

この人はどんな人なのだろう、と私は勝手にあれこれと考えた。20万円や30万円もする小さなバッグを買えるということは、何か珍しい仕事をしていて、お金持ちなのだろうか。それとも、そのバッグを買おうと思って以前から長いあいだお金を節約し、ようやくたまったので、とうとう今日このデパートにやって来たというわけなのだろうか。

いずれにしても、私とはかなり違うタイプだということになりそうだ。

なぜ「一日」は、大昔から、昼と夜に分かれていることになっているのか。

このようなバッグを買うくらいなのだから、人生のなかで、楽しいと感じることとか、興味をもつこととか、気になることや気にならないことなど、さまざまな点で、彼女と私とでは大きく違うのではなかろうか、などとぼんやり考えた。

少なくとも、バッグやファッションに対する姿勢は確実に私と異なる。ファッションというのはつまりは他人の目があって初めて成り立つ文化であるから、それについての態度が異なるということは、「対人関係」や「自分」あるいは「世間」いうものについての捉え方もけっこう異なる可能性がある。

だが、そんなふうに思った一方で、いやそれは大げさに考えすぎかもしれない、とも思った。

私たちには、しばしば、自分と他人とのちょっとした違いを大げさに捉えすぎる傾向がある。そして、わずかな趣味の違いを見つけては、世界観が違うかも、人間観が違うかも、などと大げさに想像を膨らませるのだ。

人はつい、自分は他人と違う、と考えたがる。しかし、実際のところ、自分の趣味や好みを根拠づけたり正当化するような、何か確固とした世界観や人間観を持っているわけではない。

他者との「違い」に見えるものは、きっと、思っている以上に些細なものであり、偶然的なものに過ぎないのだ。

人間は人間である以上、一人ひとりにかけがえのない個性があるように見える。実際にそうなのだけれども、しかし、その「違い」は一定の枠内のものでしかありえない。一定の枠内のものでしかありえないから、私たちは自分たちを「人間」とひと括りにできるのである。

私も、あの人も、この人も、みな特別なのだが、特別すぎるわけではない。

個性を大切にすることは、謙虚さの一つだけれども、同時に、個性といったものを重大視し過ぎないことも、謙虚さの一つかもしれないと思った。

私たち一人ひとりは、自分で思っている以上に、個性があってかけがえのないものである。しかし、同時に、自分で思っている以上に、一人ひとりの違いは些細だ。この両方の感覚を同時に抱くことが、なんというか、「平和」であるような気がする。

先日、デパートのなかで、高級ブランドバッグのあいだを歩きながらぼんやりと考えたのは、そんなことだった。

(終)


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