先日、約5年ぶりに、古い友人と会った。
彼は、私よりもずっと背が高くて、声も低音で張りがあって、人柄もしっかりしている。同じ年に生まれたのだけれど、なんとなく兄のような気もしてしまう友人である。
彼と初めて出会ったとき、私たちはまだ21歳だった。
21歳であれば、法的にはもう成人で、一人暮らしもしていたし、酒も飲むようになっていたし、まあまあ勉強もしていて、車の免許も取っていて、アルバイトも経験したりして、それなりに世の中のことがわかっているつもりの年齢だった。
実際には、自分はもう大人なのだと自信を持ってしまうこと自体が、幼さの一部だったのだけれども。
だが今回、彼と久しぶりに会って、私たちは自分たちが初めて出会った時の年齢の倍をはるかに超える年になってしまっていることについて、あらためて驚いたのだった。
「いつの間にか、歳をとったよね」。そう何度も、何度も言ってしまった。
彼は大学を卒業して、すぐに大きな会社で働き始めたけれど、私は大学院に進んだので、社会人になるのがけっこう遅かった。29歳で助手になって、数年後から制度改革で助教になったけれど、准教授になったのは40歳のときである。
それからは、新しい職場になじむのに時間がかかったし、同時に本を何冊か書いたりしていたので、とにかくバタバタしていた。気がついたら、ずいぶんと長い年月が過ぎていた、という感じである。
もう私の人生は、完全に折り返し地点を超えているのだ。でも、正直なところ、まだ全然「大人」にさえなりきれていないような気がして仕方がない。
本当に私は、今の年齢なのだろうか。
いまのこの生活は実は夢であって、ふと目が覚めたら24歳くらいの自分がいて、「ああ、変な夢を見た。おっさんになった夢を見た、びっくりした」なんて言ったりするのではないかと、半ば本気で思ってしまうくらい、今の年齢に実感がないのである。
私は、いままで何をして生きてきたのだろう。
今日会ったその友人と初めて出会ったちょうどその頃、私は岩波文庫をよく読んでいた。そのなかに、セネカの『人生の短さについて』という本があった。
その本は今でも手元にある。開いてみたら、次のような部分に鉛筆で線が引いてあった。
「髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない。長く生きたのではなく、長く有ったにすぎない。たとえば或る人が港を出るやいなや激しい嵐に襲われて、あちらこちらへと押し流され、四方八方から荒れ狂う風向きの変化によって、同じ海域をぐるぐる引き回されていたのであれば、それをもって長い航海をしたとは考えられないであろう。この人は長く航海したのではなく、長く翻弄されたのである」(茂手木元蔵訳、25頁)
私も、「長く翻弄され」て、今にいたっているに過ぎない。ただ「長く有った」だけだ。でも、もう時間はもとには戻らない。
私は、これまで何をしていたのだろうか。これからどうやって生きていこうか。
人生の意味は何か、という問いがある。だが、そうした問いそのものがおかしいのかもしれないとも思う。そもそも「人生」というものは、本当に「ある」のだろうか。
というのは、私たちは動物である以上必ず死ぬので、「生きている」ということは「死にかけている」ことに他ならないからである。死にかけている状態のことを、言葉の上では「命がある」と表現しているわけだが、なんだかそれは、ちょっとトリッキーであるようにも感じる。
また、「この世」は、「私が死にかけている期間」よりも、その前後に広がる「私が無い期間」の方が、はるかに長い。あらためてそう思うと、なんだかある種の宗教的な感慨もおぼえる。
どうやって、残りの人生を生きようか。
まずは、明日の午前はどの仕事をどういう順序でやっていくかを考えよう。
だが、こうして具体的にばかり考えて日常を積み重ねていけば、またしばらくしてから、再び年月の過ぎる早さに驚嘆するであろう。
ときどきは、抽象的に、残りの人生をどう生きるかを考えねばならないのだと思う。
(終)