今日の夕食はカレーだった。普通のカレーである。
インドカレーとか、スリランカカレーとか、そういうのではなくて、昔からある日本ならではの、典型的なあれである。入っているのはニンジン、玉ねぎ、豚肉など。ローリエの葉も入っていた。
美味しかったが、居間の壁を眺めながら食べるのも退屈なので、テレビでも見ようかと思ってスイッチを入れた。だが、不思議なほどつまらない番組しかやっていなかった。
仕方がないので、ノートパソコンを広げてドラマを観ながら食べた。
カレーを食べながら眺めていたのは日本のドラマで、小さなフレンチレストランを舞台にしたものだった。その店のシェフが主人公で、他の店員たちやそこへやってくる客たちとのやりとりを中心に物語が進む。
私がたまたま観た回には、そのレストランにパティシエ(お菓子職人)がやって来るというエピソードが含まれていた。
そのパティシエは、若くて有能だけれども気難しい男である。彼の店では箱に入ったチョコレートを作って売っているのだが、いずれも2個入り、7個入り、11個入り、19個入り、など中途半端な数のものばかりだった。
店員たちはそれを不思議がるのだが、主人公のシェフは、その2、3、5、7、11、13、17、といった数を聞いて瞬時に「それは素数だ」と指摘する。そのパティシエのやっている店で売っている箱入りチョコレートは、すべて素数の数のラインナップなのである。

ドラマでは、そのパティシエが素数の数にこだわっているという点から彼の心情を推理するという流れになっていた。真剣に批判するほどのものでもないのだが、主人公が話すその推理の理屈には少々無理があるような気がしてしまった。
とはいえ、一人でカレーを食べながらぼんやり眺めるぶんには面白かった。
私はカレーをもぐもぐと食べながら、そう言えば素数をどこまで言えるかな、と考えた。
17、19、23くらいまではすぐに思い浮かぶ。29もそうだ。31、37、それから41、43、47もそうだ。53と、あと57もそうだ。……と思ったが、57は3で割れることに気付いた。その次は59、それから61かな……、とそのあたりまで考えたら、私はもう飽きてしまった。
これまでの人生でカレーを食べた回数はもはや数え切れないほど多いが、素数を61までかぞえながらカレーを食べたことはなかった。
それが生まれて初めてのことであろうがなかろうが、実にどうでもいい話なのだが、とにかく今日はカレーを食べながら素数を数えた記念日となった。
ところで、カレーと言えばインドである。私は以前、学生の引率で2度インドに行ったことがある。その時は、ほぼ毎日何かしらのカレーを食べたが、いずれもとても美味しかった。
その学生の引率というのは、単なる海外旅行の付添ではなく、授業の一環であり、全3週間で毎日綿密にさまざまなプログラムが組まれているのである。全日程の半分以上は、朝から昼過ぎまでマザー・テレサの作った施設でボランティアをするという体験も含まれていた。
私はその引率に参加する前に、たまたまある一冊の本を読んでいた。それは幾人かの天才数学者の人生を紹介した本で、そのなかにラマヌジャンという名のインド人数学者がいた。
ラマヌジャンが生まれたのは南インドだが、後に私が学生たちと3週間を過ごしたのはデリーやコルカタなど、ラマヌジャンの故郷よりもずっと北の方である。
インドは地域によって食べ物も言語も違うので、ひとくくりに「インド」というだけでものを語ることは難しい。だが、それでも私はインドにいるあいだ、ぼんやりと「ラマヌジャンはこの国で生まれ育ったのか」と何度か彼のことを思い出したのであった。

私は今日、カレーを食べながらぼんやり素数を数えたわけだが、今思うと、カレーと素数というのもあながち奇妙な組み合わせではなかったかもしれない、と気付く。
「カレーといえばインド」という単純な発想から、学生の引率でインドに行ったことを思い出した。そして、そういえばインド人数学者ラマヌジャンのことを本で読んでいことを思い出した。だから、カレーと素数・数学の話は、いちおう私の中ではつながっていたのだ。
だが、今日この文章を「今日の夕食はカレーだった」と書き始めたその時は、その少し後にラマヌジャンに言及することになるとは自分でも思ってもいなかった。
考えてから書いているのではなく、書きながら考えているからである。
今日はカレーを食べながら、レストランを舞台にしたドラマを観ていて、その中でたまたまパティシエをやっている客が登場した。そのパティシエの店で売られている箱入りチョコレートはみな素数の数のラインナップになっているという設定の物語だった。そう書いていたその瞬間も、その直後に自分がラマヌジャンの名前を思い出すことになるとは、まだ思わなかった。
人は不思議なきっかけで、まったく関係ないようなことをふと連想する。何かを想起したり連想したりした以上は、自分なりに何かしらの関連性を直観したから思い出したのだろう。
もし今日、たまたま夕食がカレーではなかったら、また、カレーを食べながらつけたテレビでたまたま面白い番組をやっていてそちらに目を奪われ、パソコンでそのドラマを観ることがなかったら、素数を数えることはなかっただろう。そして、インドのラマヌジャンの名を思い出すこともなかっただろう。
私たちが頭の中に思い浮かべるぼんやりとした連想や思考は、それ自体、偶然的で、奇跡的なものだとも言えるのかもしれない。
(終)