コーヒーは一人で飲むことが多い飲み物

先日、私が今いるところから1200キロくらい離れたところに住んでいる方から、美味しいコーヒーをいただいた。

簡単にドリップできるように、フィルターのなかにすでに一杯分のコーヒーの粉が入っているものである。個包装になっており、袋から取り出して上部のミシン目を手でちぎって広げてカップのふちに引っ掛けるように載せれば、後はお湯を注ぐだけでコーヒーができる。

こうしたタイプの商品はスーパーでも売られているが、いただいたのはMという有名な珈琲店のもので、びっくりするくらい美味しいのである。以前もいただいたことがあり、あまりにも美味しかったのでそのように伝えたら、今回は以前よりもたくさん送ってきてくださった。

子供の頃は、コーヒーは大人になるまで飲んではダメだ、と言われ、紅茶か緑茶か麦茶かほうじ茶しか飲ませてもらえなかった。中学生のときから、インスタントコーヒーを飲むことを黙認されるようになったと記憶している。

だがコーヒー牛乳やコーヒー味のお菓子はすでに口にしていたから、こうした味にはわりと小さい頃から馴染んではいたのだと思う。

大学3年の時に私は遠くに引っ越して一人暮らしを始めたが、そのときに一人でコーヒーを入れるための小さな電気湯沸かし機を買った。朝起きて、大学へ行く前にそれでコーヒーを入れるのを、ささやかな趣味にしたのである。その時に使っていたコーヒーの粉を入れる金属製の筒は、今でもうちにある。

テレビで見たことのあるあの人の顔だ、と思ったら違った、と思った。

中年になってからは、胃腸が弱くなったからか、コーヒーを飲むと腹が疲れる気がするようになり、緑茶をいれて飲むことが多くなった。だが、最近、健康状態に関して医者から忠告を受け、お酒をほとんど飲まなくなったところ、再びコーヒーが飲みたくなり、それがとても美味しく感じるようになってきたのである。

今回、その1200キロくらい離れたところに住んでいる人から送っていただいたコーヒーは、しっかりとした苦さがあって、一口飲むと鼻の先から頭のてっぺんまで良い香りが充満する。さらにもう一口飲むと、いい具合に意識が覚醒して、背筋がピンと伸びるような、そんな感じなのである。

だから、いつも仕事の合間にコーヒーをいただくのだが、それを飲むのは決して休憩するためではなく、むしろ次の別の仕事に取り掛かるために飲むのである。

しばらく前、本を出してその印税が入ったので、自分用にお茶やコーヒーを飲むためのカップを買った。私は一日のうち、大学の自分の部屋にいる時間が一番長いので、そこで使おうと思ったのである。デザインは白地にブルーのストライプで、部分的に金色の装飾が入っている英国風のものだ。

今日も午後の4時頃、そのカップにコーヒーを入れた。それを飲みながら、以前お世話になっていたある先生にメールを書いた。その人はフランス哲学の研究者で、最近これまでの研究をまとめた本を出されたのだ。それを私にも送ってきてくださったので、メールというのはその御礼を伝えるためのものである。

彼とはずいぶんご無沙汰してしまっている。それにもかかわらず、わざわざ私の勤務先の住所を調べて本を送ってくださったことは、とても嬉しかった。彼はおそらく世間一般からすれば個性的な方だが、とても陽気で気立ての良い先生なので、私は大好きな人である。

地下街の床はツヤツヤしているからわりと好き。

彼とは何度か学会の後などに一緒に居酒屋に行ったことがある。声は大きいのだけれども、話題の選び方には気を遣っている様子が伝わる喋り方をする人だ。ビールのグラスを手にして、冬でも額の汗をハンカチで拭きながら話をするその先生の独特な口調が、ふと頭に蘇る。

そういえば、実は彼と一緒にコーヒーを飲んだことはなかったということに気付いた。だから何だという話だけれども、今まで考えたことがなかった。

私はこれまで、大学の恩師とは何度も2人で居酒屋に行った。2人でビールを飲んだ回数は数え切れない。しかし、非常に長い付きあいであるにもかかわらず、その恩師と2人でコーヒーを飲みに喫茶店に入ったことは一度もなかったことに、たった今気が付いた。

なんだか、けっこう意外である。ビールよりもコーヒーの方が、敷居が高いものなのだろうか。

今の私の研究室にも、ときどき同僚がおしゃべりに来るが、わざわざお茶やコーヒーを出すことはない。出版社やその他外部の人が打ち合わせや取材に来たときはさすがに紅茶かコーヒーは出すが、それも最近はメールなどで済ませることが多く、研究室に飲み物を出さねばならないお客さんが来ることは非常に稀だ。

そう、こうして、つらつらと考えていて気付いたが、私にとってコーヒーは一人で飲むことが多い飲み物のようだ。

学生時代に一人暮らしを始めたときから、現在にいたるまで、コーヒーは一人で飲むことが圧倒的に多い。コーヒー自体のせいなのか、単に私の生活環境のせいなのか、それはわからないが、結果的には明らかにそうであった。

たぶん、これからもそうであろう。

(終)

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