ツバメをみて、いろいろなツバメを連想する

今日は、久しぶりにツバメを見た。

駅から大学へ向かう途中に、小さなトンネルがある。トンネルといっても歩行者専用の小さなもので、20歩くらいで通り抜けられるものである。何年か前から、そのトンネルの出口部分のアーチの一番高いところに、ツバメが巣を作るようになったのだ。

その巣の材料は何なのかよくわからないが、色は薄いベージュで、やや大きめの茶碗のような形である。それが数年前、トンネルの出口の上に、突然作られたのである。確かにあの場所であれば、人間の手は届かないし、ネコなども近づけない。

ドキュメンタリー番組などで、よく巣のなかの赤ちゃん鳥がピーピーと鳴いていて、そこへ親鳥が餌を持ってやって来る、という映像があるが、あれを毎年生で見られるようになったのだ。

私たちは地面から見上げる形になるので、巣の奥までは見えないけれども、でも確かに大きな口を開けて必死に「餌をちょうだい、餌をちょうだい」と叫んでいる赤ちゃんツバメが見えるのだ。あれは眺めていてなかなか面白いものである。

木を見上げ、葉っぱをすかして空を見る。

本当はそこにずっと立ち止まってしばらく眺めていたいのだが、そこは駅と大学の中間地点で、道幅もさほど広くない。もしそこでじっと立ち止まって眺めていると、自然を愛するセンチメンタリストだと思われそうで恥ずかしいので、本当はもっと見ていたいのを我慢して、そこを通り過ぎていた。

生まれたばかりの鳥は、確かにかわいい。だが、何度か見ているうちに、ピーピーと鳴いて口を大きく開いて食べ物を要求する赤ちゃんツバメの方が実は強靭でたくましいように見え、一方その子供たちのために必死になって餌を取りに行っては舞い戻ってくる親ツバメの方が、むしろ守ってあげるべき繊細な存在であるようにも見えてくる。

「子供より、親が大事と思いたい」という太宰治の言葉がどういう文脈のものだったか忘れたが、初めてこのツバメの家族を見たときは、なんとなくそのフレーズを思い出したりしたのであった。

私がツバメという鳥をみた最初の記憶は、小学生の時のものである。

実家から歩いて15分くらいのところに駅がある。何をしに行くときだったか忘れたが、ある日その駅に行った際に、ホームの屋根の裏にツバメが巣を作っていて、その周辺を飛ぶツバメを見つけて「あ、ツバメだ」と思ったのだ。その瞬間のことを、なぜか今でもよく覚えている。

ホームの屋根は高かったので、巣の様子はまったくわからなかった。だが、巣から飛んでいく親ツバメのシルエットが、非常に精悍で、格好良く見えたのである。

ツバメのシルエットは、ハトやカラスとは明らかに違う。尾羽が二股になっているのが特徴的だし、翼も戦闘機のように鋭い角度がついていて、飛び方もなんだかキビキビとしている。

そういえば、現に「飛燕」(ひえん)という名前がつけられた戦闘機があった。日本陸軍の「三式戦闘機」である。昔、一人で鹿児島県の知覧にある特攻平和会館に行った時、その中央に飛燕の本物が展示されていた。

飛燕は珍しい液冷航空エンジン搭載の戦闘機なので、ゼロ戦などとはちがって先端が尖ったスマートなデザインになっている。なぜそれが飛燕と名付けられたのかは知らない。ツバメというのはかならずしも強そうな鳥ではなく、どちらかというとむしろ繊細なイメージがある。

ツバメといって思い出すもう一つは、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』に出てくるツバメである。そのツバメは王子の像の言う通りに、その像のルビーやサファイアや金を剥がして、貧しい人に届ける。話の細かいところは忘れたが、確かツバメは街の人々の様子をその王子の像にいろいろ語って聞かせたりしたのではなかっただろうか。

王子の像はやがて朽ちていき、そのツバメも死んでしまうという、わりと悲しいお話だったかと思う。

影と日なたの境目あたりを歩いて大学へ向かった。

もう一つ「つばめ」と言って連想するのは、小学生の頃に社会か地理か何の授業か何かで覚えさせられた「燕の洋食器」というフレーズである。

新潟県燕市の名産が、どうやら洋食器であるらしい。どうして燕市で洋食器が作られるようになったのかは覚えていない。いちおう授業では習ったのか、あるいは「とりあえず覚えておけ」と言われて無理やり暗記しただけだったのかも覚えていないが、それでも、とにかく「燕の洋食器」という言葉は今でも覚えている。

今日、そのトンネルの出口のところにある燕の巣の下へ行ったら、巣の真下の地面に新聞紙一枚程度の大きさの紙がガムテープで貼られていて、オレンジ色の工事用のコーンも置かれていた。糞が頭や服にかからないように、というどなたかによる気遣いか、あるいは、このツバメたちを暖かく見守りましょうね、という意図なのかわからないが、とにかくそうなっていた。

この赤ちゃんツバメたちは、どのくらいの期間で一人で飛べるようになるのだろうか。いま赤ちゃんツバメたちに餌をやっている親ツバメは、ひょっとしたら、私が昨年の今頃見たときにピーピーと鳴いて大きな口を開いていたあの赤ちゃんツバメのうちの一羽だったりするのだろうか。

今朝も、じっと立ち止まって眺めていたかったけれど、私はちょっと歩くスピードをゆるめてそっと見上げるだけで、我慢した。

あの赤ちゃんツバメたちは、これからどんな一生を送るのか。
親ツバメは、子育てが終わったら、どうするのだろうか。

「飛燕」の排気ガスは、どんな匂いだっただろうか。
王子の像と最後をともにしたツバメは、幸せだっただろうか。
燕市で洋食器を作っていた職人たちは、どんなふうに働いていたのだろうか。

朝、ツバメを見て、こんなとりとめのない疑問を思い浮かべた。

(終)

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