天気予報では、午後には雨がやむと言っていたのに、結局今日は、朝から夜まで雨が降り続いた。
子供の頃、どうして雨の日の数と晴れの日の数は一年を通して半々ではないのだろうか、と疑問に思ったことがある。
大人になった今は、どうして小さい頃の自分は雨の日の数と晴れの日の数が同じであるべきだと考えていたのかを、疑問に思っている。
晴れているか、それとも雨が降っているか、という天気の情報は、ある場面や情景を説明するのにとても重要なものであるはずだ。しかし、有名な文学作品には意外と天気の記述がない。
例えば「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は、その場面は晴れているのだろうか、それとも小雨が降っていたりするのだろうか。ここには天気の情報がない。
ある人は晴れた日の法隆寺をイメージし、別の人は霧雨の舞う法隆寺をイメージしているとしたら、同じ作品に感動しているつもりでも、実は同床異夢なのではないか、とも思ってしまう。
天気予報によれば、明日は晴れるらしい。本当に晴れるといいな、と思う。
私の生まれた日はどんな天気だっただろうか。
私が死ぬ日は、どんな天気だろうか。