私には、毎朝駅のホームで電車が来るのを待っている時に、ぼんやりとジュースの自販機を眺めるという癖がある。
今朝も、いつものように、電車が来るまでのあいだ、自販機の前に立って、ジュースの缶やペットボトルのラベルをぼんやりと眺めていた。
すると、ふと背後に人の気配がし、振り向くと若い女性が財布を手にして私の後ろに並んでいたので、私はあわてて「ああ、すみません。どうぞ」といって場所を譲ったのであった。
自販機の中に並んでいる缶やペットボトルのラベルを眺めていると、それだけで、けっこう飽きないものである。
まず第一に、缶コーヒーだけでこんなにたくさん種類があるのか、ということ驚く。また、同じ緑茶でもこっちの自販機のそれとあっちの自販機のそれとでは、ネーミングのコンセプトが全く違うなと思ったりもする。
どうしてこのりんごジュースのラベルにはこんな動物の絵が描かれているのだろう、と不思議に思ったりもするし、総じてフルーツ系のジュースのラベルにはアルファベットの「C」の出現率が高いような気がしたりするなど、ぼんやり見ているだけでいろいろなことを考えたり思ったりできる。
一部の飲み物には「○○配合」などと書かれているが、その○○という成分がいったい何なのか、私にはわからない。それが何なのかわかって買っている人はかなり少ないと思われるが、それにもかかわらず、あえて「○○配合」と書くと売れると見込んでいるメーカーは、社内の会議でどのような議論をしてそのラベルのデザインを決めたのだろうか、などと、どうでもいいことまであれこれ想像したりする。
今朝も、もし私が飲料メーカーに呼ばれて、社長から「この缶コーヒーに何か斬新な名前をつけてください」と言われたとしたらどんな名前にしようかな、となどと勝手な空想をしながら、電車が来るのを待っていた。
20代の頃はタバコを吸っていたので、よく缶コーヒーを買っていた。その頃のある日、いつも買っているものと同じ缶コーヒーを買ったのだが、何かの事情でその場では開けずに、結局自宅に持ち帰ったことがあった。
そして自宅に帰ってから、その缶コーヒーを開けて中身をガラスのコップに移してから口にしたら、普段よりもはるかに甘く感じてびっくりしたことをよく覚えている。
それはいつもの飲み慣れた缶コーヒーだったのだが、缶のまま口にするのと、グラスに移してから飲むのとで、感じる甘さがまるで違ったのである。「今までこんなに甘いものを飲んでいたのか」と驚き、それまで気付かなかったことを不思議に思ったのであった。
タバコをやめてからは、缶コーヒーを買うことはほとんどなくなった。今では、自販機でジュースを買うということはほとんどないし、コンビニでもジュースを買うということはまずない。そもそも、コンビニに行くという習慣がない。
1年に1度、あるいは2年に1度くらい、ふとコーラのようなものが飲みたくなることがある。
だが、私はコーラよりもドクターペッパーの方が好きで、どうせだったらそちらの方を買いたいと思うのだが、それは近所ではなかなか見つからない。そのため、結局どちらも買わないまま、その1年か2年に1度の「コーラのようなものが飲みたい」という稀な欲求もしだいにしぼんで、消えて、忘れてしまうのである。
海外に行ったときも、それぞれの国でいろいろな缶やペットボトルのジュースがあるのを目にした。今現在、地球上にはいったい何種類くらいの缶ジュース、ペットボトルジュースがあるのだろう。
2000種類くらいあるのだろうか、あるいは1万種類くらいあるのだろうか。そんなにはないだろうか。見当もつかない。
そういえば、5年ほど前に、近所のスーパーでノンアルコールビールを買ったことがある。その日は全てのジュースが安売りだと店内にポスターが貼ってあったからである。ところが、それをレジまで持っていったら、店員に、これはビール扱いだから安売りの対象にはならない、と言われたのだった。
アルコールの入っていない飲み物はすべて「ジュース」のカテゴリーに入ると思っていたので、私としては意外だったけれど、ごねてもしょうがないので「あら、そうなんですか」と言ってそのまま通常料金で買った。5年も前のことだけれど、今でもよく覚えているということは、私の中では印象的な出来事だったのだろう。
今朝、私はいつものように駅のホームでぼんやりとジュースの自販機を眺めながら、あらためてその種類の多さに感心した。
こんなにたくさんのジュースを開発し、それぞれに名前をつけて、ラベルをデザインし、中身を作り、工場で完成させてダンボールに詰め、全国に配送し、日本中の駅のこうした自販機一つひとつに補充するとは、すごい手間だな、と思う。
私はめったにジュースを買わなくなったけれど、それでも毎日、自販機に並んでいるそれらを眺めては「面白いなあ」と思っている。
私が小学生のときに親に何度か買ってもらったスポーツドリンクの缶のデザインは、銀色の地に黄色い逆三角形が描かれていて、その逆三角形のなかにアルファベットが何文字か配置されているデザインだった。
当時は「昭和」だったけれど、その缶のデザインは、すごくシャープで、スポーティで、大人っぽくて、未来的だった。少なくとも当時の私には、そう見えた。
そのジュース缶のデザインを思い出すと、小学生の頃の暑い夏の日を思い出す。
ジュースの缶やペットボトルのデザインは、みなそれぞれの時代を反映している。そして、長い年月が過ぎると、それはその頃の日々を思い出すきっかけの役割も担うようになる。
私は日頃よく自販機を観察しているので、今から数十年たってから、ふとこの時代の缶ジュースやペットボトルのデザインを見たら、今ここで暮らしているの日々のことを、少しは思い出したりするはずである。
(終)